キラキラと輝くばかりの存在感で、国や世代を超えて再注目されている”昭和アイドル”。耳に残る楽曲に加え、ピュアで華やかなヘアメイクも人気再燃の理由のひとつに。そんな当時のビューティ事情を探るべく今回ご登場いただいたのは、昭和のラストを飾る1988年4月にアイドルデュオ・Winkとしてデビューした相田翔子さん。どこか憂いを帯びたビジュアルとキャッチーなパフォーマンスで一世を風靡した彼女が語る、アイドル時代のヘアメイクのこだわりや、50代を迎えた現在の美容との向き合い方とは?
- デビュー当時はセルフメイクが基本。知識がない中、とにかく必死! こだわりは前髪でした
- 作り手みんなが最高のものを出し合えた、奇跡のような時間でした
- 無理はせず、今の自分の肌を大事にするように心がけています
- いくつになっても、ずっと自分にワクワクしていたい!
■アイドル時代のヘアメイクについて
デビュー当時はセルフメイクが基本。知識がない中、とにかく必死! こだわりは前髪でした
「デビューしたての頃は、私も(鈴木)早智子もセルフメイクでステージに立っていたんです。私は高校卒業してすぐのデビューだったのでメイクの知識がなく、とにかくブローして、両サイドをピンで留めて……と、あか抜けない普通の高校生の延長という感じ。そんな状態でステージ衣装を着ているので、違和感があったと思います(笑)。ヘアメイクのコンセプトがあったわけではなく、マネージャーさんからも特に指示はされなかったので、2人とも好きなようにやっていました。お互いのバランスみたいな部分も特に気にしていなかったですね。ただ、早智子は私よりも早く事務所に所属していたせいかすごくあか抜けていて、いろいろと教えてもらいました。『翔子、ちょっとマスカラ濃くない?』なんてお互いにアドバイスをし合っていたものの、芸能人とは到底思えない仕上がりだった気がします(笑)。
その当時使っていたメイクアイテムは、六本木の“オリエンタル”というコスメショップで購入したもの。当時のマネージャーさんが私と早智子を連れて行ってくれたのですが、あまりにも商品がありすぎてどれを買っていいのかわからなくて。とりあえず眉ペンシルとちょっとしたアイシャドウ、チークと口紅といった必要最低限のものを揃えて、それで対応していました。ファンデーションは、shu uemuraの薄づきなリキッド。ナチュラルな肌が好みだったので、それすらもほとんど塗っていなかったと思います。そして、ヘアアレンジで欠かせなかったのが、名前を忘れてしまったけれど白いボトルに青い文字が描かれたミスト(編集部注:ポールミッチェルのヘアミスト)。カチッとヘアスタイルを固定してくれるのですが、当時のアイドルの90%はあれを使っていたはず。ヘアメイクさんは必ず持っていたし、自分でも購入していました。
その後テレビの歌番組に出始めたことでヘアメイクさんがついて下さるようになったのですが、自己主張は全くせず、提案していただいたまま。ただ、前髪だけはかなりこだわりがあって。夜中に帰ってシャワーを浴びて、翌朝もまた仕事……という緊張した日々が続く中、お風呂上がりに自分で前髪をカットすることがストレス解消やリフレッシュに繋がっていたんですよね。イベントのステージの直前に、気合いを入れるために会場の公衆トイレで前髪を切ることもよくありました。「あれ? 翔子がいない」となると、だいたいトイレで前髪を切ってる(笑)。誰からも何も言われなかったけれど、早智子にだけは「翔子、前髪また切った?」って気づかれてましたね。
当時ヘアメイクに憧れていたのは、中森明菜さん。毛先が巻かれたポニーテールの絶妙な高さやルーズ感がすごく素敵で、後ろもキュッとさせずにふんわりしているんです。小泉今日子さんもしょっちゅう大胆にイメチェンされていて、カッコ良かったですね。実は私、中学生の頃に原田知世さんに憧れてショートカットにしたことがあるんです。トップはふんわりしているけれど、襟足は短い本当のショートカット。そこに長渕剛さんをちょっとミックスして毛先をツンツンさせたような髪型で、事務所にスカウトされて所属した際のアーティスト写真もショートヘアでした。当時の写真を今見るとかなり恥ずかしいですが(笑)、実は今でも隙あらばショートにしたいんですよ」
発売元/POLYSTAR Co., Ltd.
「3枚目のシングル『愛が止まらない』で有線大賞を受賞したことでWinkという存在を多くの方に知っていただいたのですが、その頃に髪をカールすることを覚えたんです。ホットカーラーを初めて購入し、縦ぎみにカールしてフワッとさせるアレンジに挑戦したのがまさにこの時期。知識も技術もなかったけれど、そうやって少しずつ努力しながらステージに立たせていただいたことを覚えています」
発売元/POLYSTAR Co., Ltd.
「もちろん、ジャケット写真やプロモーションビデオはプロのヘアメイクさんがついてくださって、プロデューサーさんのコンセプトのもと撮影をしていました。デビューシングルのヘアメイクは、なんと嶋田ちあきさん。松田聖子さんのほぼ専属だった方なので、すごく嬉しくて。嶋田さんは、私たち2人の雰囲気を見てナチュラルで行こうと思ったらしく、最初の頃はそんなにメイクも作り込まなかったんです。でも、ビューラーを何段階にも分けてまつ毛をくるんと上げてくださって、「聖子さんもこうやってるんだ!」と感動しました(笑)。時代が進んでいくとヘアメイクもワイルドになってきて、くるくるっと巻いた後にバーっと逆毛を立てたりするように。いろんなアレンジをしてもらえるようになって、すごく楽しかったですね。私自身も変化を求めて、ソバージュをかけた3ヶ月後にストレートパーマをかけたり、また1ヶ月後にブワ〜ッとしたパーマをかけたりしていました」
■昭和のアイドル風ヘアメイクが、今再燃していることについて
作り手みんなが最高のものを出し合えた、奇跡のような時間でした
<衣装協力>ブラウス、パンツ LANVIN COLLECTION ピアス N NATURALI JEWELRY
「ヘアメイクって時代の象徴だし、当時の自分を思い出すひとつのきっかけになるのが面白いなって思います。私は昭和の終わりにデビューして時代は平成に変わっていきましたが、ヘアメイクも時代に合わせて変わっていったんですよね。昭和は綺麗に波立つソバージュヘアが定番で、平成になるとちょっとシャギーを入れて動きをプラス。私自身もどんどん変化が欲しいタイプなので、もっと過激にしたいなと思うときは美容院で『一番細いロットで巻いてください』とお願いして、電話コードみたいな髪型にしたこともありました。メイクも昭和はわりとみんなが真似できるような清純なイメージでしたが、平成になるとよりファッショナブルに。当時ついていただいた伊藤五郎さんというヘアメイクさんはファッションショーのメイクも担当されていたので、カラースプレーでここは金、ここはグリーンと染め分けたりして、最先端のヘアメイクを提案して下さるんです。“本人たちが奇抜じゃないぶん、遊んでもケバく見えないから色々やっちゃった”とおっしゃってましたね(笑)。
最近はtiktokやYouTubeでWinkの歌を踊ってくださる方がいたり、韓国の方で『淋しい熱帯魚』を取り上げていただいたりして、音楽をやってきてよかったって感じます。当時は歌いすぎて麻痺していましたが、今になって改めて聴くとやっぱり楽曲が素晴らしいんですよね。イントロのアクの強さ、耳に残るキャッチーなメロディ、そこに及川眠子さんが叶わない恋や届かない想いを描いた切なくて危うげな詞をのせて、ただポップなだけじゃない奥行きのある楽曲に仕上げていた。だからこそ、世代や国を超えて未だに聴いていただけているのかなと思います」
「やっぱりあの時代って、すごくパワーがあったんですよね。私たちだけがちょっと覇気がなかっただけで(笑)。ヘアメイクさんもスタイリストさんも命がけだし、作曲家、作詞家、振付師さんも含めて全員がパワーと勢いに溢れていた。振付師の香瑠鼓先生はずっと銀座でアルバイトをしながらダンスをされていて、Winkと出会ったことで“これまでのアイドルのイメージをぶち壊してやろう”という強い意志を持って振り付けして下さったんです。そうやってそれぞれの想いが合わさったことで、私たちを含めてみんなが世の中に名前が出るようになった。それだけのメンバーを集めて下さったプロデューサーさんも素晴らしいし、みんなが最高のものを出し合うことができたあの時間は、本当に奇跡だったと思っています」
■50代の今、どんな美容してますか?
無理はせず、今の自分の肌を大事にするように心がけています
<衣装協力>ワンピース KOJI WATANABE STYLE アクセサリー N NATURALI JEWELRY
「最近は外からだけではなく、内側からのケアの大切さを実感しています。コロナ禍のステイホーム期は人と会う機会が減っていたこともあって、保湿がおざなりになっていた自分がいて。“なんだか乾いてるな……”とふと気づき、そこから水分を積極的に摂ったり、Wink時代によく飲んでいたシークヮーサーのミルク割りを飲んだりするように。ビタミン豊富なフルーツも食べたいけれど、値段が高騰しているので、とりあえずは娘だけ(笑)。私はブロッコリーやきゅうり、トマトなど、肌にいい野菜を毎日山盛り食べています。
もともと私自身は、“若い頃のような毛穴レス肌になりたい!”とは思わないタイプ。あまり頑張りすぎると違和感が出てしまうので、年相応でいいと思っているんです。とはいえ、今の自分の肌を大事にしたいので、きちんとスキンケアをして少しでも良い状態を保っていけたら嬉しいですね。
UVケアに関しても、そこまで熱心ではない方。アウトドアが好きだし海で思いっきり泳ぐこともあるので、今の時期はすごく焼けているんです。普段愛用しているのは、RMKのUVカットできる下地。肌なじみが良くてツヤ感も出る優れもので、ロケに行く時にも使っています。アウトドアの時は、お友達が海外で買ってきてくれるSPF100の強力な日焼け止めを全身にたっぷりと。でも子供と泳ぐとエンドレスなので、気づくと落ちていてしっかり日焼けしちゃってますね(笑)。子供の頃から”夏は水着の跡をつけてなんぼ”というスタイルだったので、11歳になる娘にも『若いうちはどんどん新しい細胞が生まれるのだから、今は何もしなくていいよ。日焼けを気にするよりも、思いっきり楽しんで』と伝えています」
(左)塗布した肌は低pH(酸性)の状態に。肌が低pHになることにより、皮膚の再生を促したりコラーゲン生成を促進し、小じわを改善してハリ・ツヤのある肌へと導く美容液。WiQo フェイスフルイド 30mL/医療機関専売製品 (右)ハリを失った肌や、加齢や外気の影響を受けた肌の皮脂膜を回復させる働きがあるクリーム。WiQo 保湿ナリシングクリーム 30mL/医療機関専売製品
「ここ1年ほど、WiQo(ワイコ)のスキンケアを使っています。ピーリング、美容液、クリームを使っているのですが、友達から『何を使ってるの?』と聞かれるくらい肌の調子がいいんです。おすすめした友達も使ってくれているようで、評判も上々です。特に気に入っているのが自宅用のピーリングで、美容皮膚科でやるものよりも肌当たりが優しいのが特徴。多少ピリピリはするけれど、30分ほど放置しておくと表面がツルンとして肌艶が良くなります。美容液は伸びが良くて肌なじみ抜群だし、クリームも滑りが良くて、ツヤツヤピカピカな肌に」
髪・頭皮・肌のケアを叶える多機能オイル。人の皮脂にも含まれる成分「オレイン酸トリグリセリド」を多く含むため刺激が少なく、髪や肌に自然になじむ。大島椿 60mL ¥1980
「年齢と共に髪がキシキシしてきて、自分の中で“もう少しお姉さんになった時に使うもの”とずっと思っていた椿オイルをついに導入。前髪がバサバサで決まらない時やウェットスタイルにしたい時にすごく重宝していて、2本ストックしています」
いくつになっても、ずっと自分にワクワクしていたい!
「若い頃からずっと、変化することが大好き。それがストレス解消やリフレッシュに繋がっているんです。自分に対して常にワクワク感を感じていたいから、“この年齢にこの髪型はダメ“とか”こういう洋服を着るべき“という世の中の意見に逆らうことも厭いません。着たいものを着て、やりたい髪にして、その上で、きちんとしなくてはいけない場ではちゃんと戻す。オンとオフを分けていれば、人の目を気にする必要はないと思っています。
今やりたいと思っているのは、電話コードのようなスパイラルパーマ。この取材のために清楚なイメージで髪をカットしたので(笑)、終わったら思い切って大胆な髪型にしちゃおうかなって。実は、もう美容院も予約してあるんです。私の髪型に厳しい娘からは“絶対にやるな”と言われていますが、夏休みの間だけ楽しむつもり」
アイドル時代から変わらない、ふわりとした笑顔で取材に応えて下さった相田さん。おっとりとした語り口ながら切れ味鋭いユーモアが随所に散りばめられ、終始笑いが絶えない和やかなインタビューとなりました。取材の最後には「いちばんお伝えしたかったのは、私がこうやって人前に立って撮影していただけるのは、長年お世話になっているスタイリストの金子さんやヘアメイクのきくちゃんのおかげだということ。25年に渡って積み重ねてきた信頼関係があるので、鏡を見なくてもいいくらいお任せできるんです。本当にありがたいですね」と感謝の気持ちを語っており、相田さんの包み込むような美しさの秘密がわかったような気がしました。
1970年2月23日生まれ、東京都出身。1988年にアイドルデュオ・WinkとしてCDデビューし、『愛が止まらない〜Turn it into love〜』や『淋しい熱帯魚』など大ヒットを連発。また、デュオ時代からソロとしても活動。おっとりとしたキャラクターが支持され、バラエティ番組やドラマ、映画など幅広いジャンルで活躍している。10月17日〜21日に『MIN-ON スペシャル・ステージ 堀内孝雄×渡辺真知子×相田翔子〜Thank you Show Much! Vol.2〜』を開催予定。
撮影/浜村菜月〈LOVABLE〉 ヘア&メイク/きくち好美 スタイリスト/金子美恵子 ジャケット写真協力/ポリスター 取材・文/真島絵麻里 企画・構成/有住美慧(MAQUIA)