南フランス、プロヴァンスの地で生まれ、今年創設40周年を迎えたロクシタン。大自然に育まれた植物の恵みを生かした化粧品作りの先駆者オリビエ・ボーサンさんに誕生の地でお話を伺いました。「MAQUIA」12月号の『ユダトーーク』よりお届けします。
ロクシタンをメジャーに
広めたシア製品
1980年、 アフリカ・ブルキナファソで出会ったシアの実。そこから採れる植物性油脂を製品化したシア シリーズは今も変わらぬ人気のロングセラー。
(右)オリビエ氏がデザインした絵の具のチューブ型容器がオシャレ。シア ハンドクリーム 150mL ¥3200、(左)肌、体、髪、爪とこれ一品でマルチな保湿が可能。シアバター 150mL ¥4700/ロクシタンジャポン
ロクシタン創設者
オリビエ・ボーサンさん
幼少期を過ごしたプロヴァンスの素材を用い、伝統的製法でスキンケアやフレグランスを製造。環境を保護しながら、ブランドの発展に尽力。現在もプロヴァンスに暮らす。
マキア編集長
湯田桂子
2004年にマキアを立ち上げた創刊メンバーのひとり。マキアの合言葉は、“願望実現ビューティ”!
土地に伝わるハーブや
アロマの知恵を製品化
湯田 今回、プロヴァンスを訪ねて、「ロクシタンはプロヴァンスの文化そのものである」ということが肌で理解できました。創業時にオリビエさんがラベンダーを積んで乗っていらしたというシトロエンの記念カーにも乗せて頂き……。40年前、ブランドを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
オリビエ 大学を卒業して、生まれ育ったこの土地に残りたかったんです。でも専攻していたのが文学や詩だったので、プロヴァンスには仕事らしい仕事がなくてね。それでこの地方にふんだんにある植物を使って何かできないかと考えるようになったのがきっかけです。
湯田 40年前というとエコロジーやオーガニックなんて考え方はまだなかった頃ですか?
オリビエ そうですね。ただ時代的にオイルショックなどを経験し、石油を基盤にした工業だけでなく、もともとあるものを生かす、つまり自然回帰、という考えが芽生え始めた頃でしたね。
湯田 自然回帰。まさに時代はそういう方向にも進みました。
オリビエ 「オーセンティックなものの価値を見つける」。日本人にはこの考え方が通じるはずです。日本でこれほどロクシタンが受け入れられているのは、日本の方が本質的なものの良さを理解する感覚に優れているからだと思っています。
湯田 一番最初に作ったのは?
オリビエ エッセンシャルオイルからアロマコロジーが生まれて、ソープやボディケア製品を作ってきました。作るときは常に、おばあちゃんの知恵というか、昔の人がハーブや薬草をどうやって使ってきたかを調べて参考にしています。例えばレーヌデプレ(編集部注:ロクシタンの美白シリーズ、レーヌブランシュに使われている植物)。プロヴァンス地方ではこの花が肌に透明感を与えるということを知って使っていた、と聞いています。それを研究所に持ち込んで、科学的に分析、証明し、製品として開発しているんです。
湯田 フランスの方が美白? 日焼け肌がお好きなのかと思ってました。
オリビエ パリの人たちはそうですが、プロヴァンスではすぐに日焼けしてしまうので、みんな太陽を避けるんですよ(笑)。
湯田 植物に対する知識は独学?
オリビエ そうです。私自身は科学者ではないですが、小さい頃から大人がハーブをどう扱うかを見てきたので、その経験を元に始めました。もちろん今は、植物に詳しい優秀な科学者を雇っていますけどね。
自然の恵みに感謝し、
守り、残していくのが使命
湯田 独学で始められたブランドが今や100人を超える研究者がいる会社に。ロクシタンの産業が南仏を支えているのですね。
オリビエ ロクシタンは私のユートピアです。経済、工業がどんどん進んでいく中で何もしないでいたら、プロヴァンスという土地は残せないでしょう。だけど、プロヴァンスを今のままの姿で残したい、後世に伝えたいのです。この考えはアフリカで採れるシアの実で作るシアバターにも通じます。シアだけでなく、アフリカの女性たちに自身の価値を見出してほしかった。ブルキナファソで最初たった12人だった働き手が1万7千人にまで増えたんですよ。
湯田 シアといえばシア ハンドクリームは、マキア読者9万人が選んだ2015年下半期の愛用コスメの第1位だったんです。これは、リアルにみんなが持っている最愛コスメという結果なんです。
オリビエ 開発のイヴ・ミューさんと話して、20%もシアを高配合させたのがよかったのでしょう(笑)。
シア ハンドクリームは「みんなのベスコス2015下半期」愛用コスメ第1位に!
湯田 デザインも素晴らしいです。私たちが思い描く、南仏のおしゃれな感じがパッと伝わってきます。
オリビエ パッケージもとても大切なものです。デザインは僕がやっているのですが……。絵の具のチューブの形は母が絵を描いていたのでその思い出からの発想です。
湯田 40年でいちばん苦労されたことは何でしょうか?
オリビエ 88年に工場が火事になったことです。これで終わりかと思ったときに、お客様が応援してくれ、従業員も頑張ってくれて今日のロクシタンがあります。つらい思いをしましたが今ではいい思い出です。
湯田 今後の展望は?
オリビエ ブランドは40年続き、大きくなったと言われますが、私たちは何も変わっていません。これまで通り、生産者と向き合い、熱意をもって仕事するだけです。世界中の従業員全員がロクシタンの哲学を信じて、いい製品を作ること。そして製品一つ一つにあるストーリーを伝えること。そうすれば、ブランドはプロヴァンスの土地とともにずっと残っていけると信じています。
「製品の裏にある、真のストーリーを届けたい。
心に残る『詩』を語るような会社でありたいのです」
常に作り手であり、
デザイナーであり詩人
初めてお目にかかるオリビエさんは、愛に溢れる知的な佇まいで満面の笑み。製品一つ一つが時を忘れさせ、まるで南仏を旅するかのような気持ちにさせるのは、オリビエさんの情熱やデザイン、そして製品がプロヴァンスの自然の恵みそのものだからだ、ということがよくわかりました。オリビエという名は何と「オリーブの木」という意味だそう。別れ際に「どんなに荒れた海でも、オリーブの木は枯れず、風と共にその花を贈る」という意味の俳句を詠んでくれました。
「MAQUIA」1月号
撮影/赤尾昌則〈white STOUT〉 取材・文/平 輝乃 構成/湯田桂子(MAQUIA)
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